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zoom RSS 暴力的表現の必然性について・・・・・・

<<   作成日時 : 2013/01/22 20:02   >>

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 一月に入ってから寒さが特に厳しくなったカルフォルニアでは、全米ですでに猛威をふるって居る新型ビールスによる風邪の感染に人々は神経を研がらせ始めて居ます。メディアによると、どうやら 予防接種用のタミフルと云う薬品其の物が市場で品不足になって居て、此のままではいざという時必要とする人々全部に行きわたらないと云う予想。
シカゴ、ボストンなどの大都市ではすでにこの新型フル―患者のためだけの屋外テントが設置されている病院も出ているらしい。私の知る所では死者の数も何と全米で16人と云うのですから、パニックになる人達が出てくるのも理解でき無くもありません。
 
 所で今日は前回のブログで書いた<コネチカット州ニュータウンでの大量殺人事件>に関して、ニュースメディアや各テレビ放送での被害者のご家族、関係者の方達のお話を聞いて私なりに感じた事を書きたいと考えていました。
あの時<事件後ほんの数日後>に私が最も訴えたいと思って居た事は、実は銃砲所持法律の改正や精神障害のある人達への取扱い方などの変革ではありません。むしろそんな一部分だけのチェンジではこんな無意味なバイオレンスが私達の世界から無くなる事は無いと思うからです。
ずっと最近もサテライト映画を見て、お勧めしたいと思う映画を探して居ました。結果としてかなり沢山の映画を見て一番感じた事は・・・・・不必要に暴力的な表現があり過ぎると云う点でした。中には私なりにシナリオ的には面白いと思う映画もあるのですが、内容の一部に不要な性的表現があったりしてあまり健康的な環境では見られない物もありました。特に今回見た幾つかの映画に関して共通して居たのは<普通の女性による犯罪>とか<残虐なシーン>が含まれて居て、中には<女性が女性に性的暴行するシーン>まであって此れには流石の私も余りに不気味でちょっと気分が悪くなってしまう程でした。表現そのものよりも<女の人達がそういう行為をする>という発想自体が今までに無かった事なので、芸術的な発想としては斬新とは云えるのかもしれないけれど、単にスリルを求めて女性にまでレイプや残虐な行為をさせる必要は無いのではないかと私は個人的に思いました。
相対的に最近の若い女の人達を見て感じる事なのですが、どんどん自由が許されて仕事も学業も男性と対等になれるようになり必ずしも結婚や誰かに頼らずに生きていける世界になりつつありますから、いわゆる自立した女と呼ばれている人達には従来のトラディショナルな女性としての自覚が少なからず薄れつつあるものと考えられます。
此れは実を言うと私自身の若い頃の考え方にも通じて居る所があって、私には<今の若い女性の考え方>をむしろ突拍子も無く違う意見と受け取るよりも、むしろ自分と似た立場として考えられると云う意味で、現在の女の人達の生き方が何処かで新しい社会的な問題を作っているのかもしれないと思い始めています。
私はずっと小さい時から大人になっても「自分は結婚はしない」と決めて居ました。それは自分のしたい事をする生き方を始めから<私自身のゴール>として持っていたからと云う事もあるのですが其れ以外にも、あまりにも自分の知る限りの大人達の中に「私もこう在りたい」と思える様な生き方をしている女の人達が居なかったから、と云う事が本当の理由だったのです。私には年の離れた腹違いの姉達が三人居ます。その姉達は特に人格に問題のある人間だった訳でも無いし普通の意味で平均的な<良い日本人の娘>で在ったにもかかわらず、この姉達は初めての結婚では三人とも失敗しています。いずれも周りの人達に勧められたり、別な人と出逢ったりして再婚して、その後は子供達にも恵まれて細々と平凡に幸せな人生を生きて居ますが、そのことから私が学んだのは、必ずしも周りの人達に従がって良い子になったとしても、それだけでは人生は順調では無い・・・・という事実でした。
 そんな身近な人達の人生の浮き沈みを見ながら成長した私は物ごころが付く年になると「女である事は損である。どうして女の子は周りに従わなくてはならないのだろう。自分はそんな風に諦めて生きたく無い」と一人の女としての憤りを感じつつ大人になりました。其れが予想に反して私が若くして結婚する事になった時、料理音痴で家事がまるで駄目な主婦だった主な理由でした。少女時代の私はずっと<典型的な良い女の子>のカテゴリーに入れられる事に反発を感じ続けて、大学の時には殊更良い子イメージに反する一見して変わり者と解る様な女学生になっていました。当時はそれでも周りの人達からはむしろ「カッコ良い!」と称賛を浴びて居ましたが、時折在る人々は私にこう尋ねるのでした。「どうしてそんな変な事をして人に誤解されるような事をするの?」
「momoちゃんは普通にして居ればもっともてるのにどうしてそうしないの?大人しく普通にして居ればもっと皆に好かれて可愛がられてその方がずっと得なのに」と云うのです。そのたびに私は複雑な思いに駆られて、こんなタイプの方達には私の様な人間の思う事はなかなか理解し得無いであろうと考えては説明に迷いました。
それでもかろうじて私は何時もこう説明する事にして居ました。
私は結婚する事が必ずしもすべての女の子の夢では無いと思う。だから好きな人が出来たら結婚して仕事を辞めてしまうのが当然と云う考えの普通の女の子に見える事自体に抵抗があるの。私は私のままでそれで良いと思ってくれる人に出会いたいから、自分の主張を表面に出す事を変えないの。普通にして居るとすごく沢山の男性は私の事を自分の都合の良い存在に仕立てあげようとするので、それに対して一々反論すると結局相手に不必要な失望を味あわせてしまうだけだからね」そうすると又その私の意見に対して、男女其々の方達の様々な意見が飛びかうのでした。70年〜80年代当時は世論も女性が<結婚しない>事や<仕事に生きる女性>の事が注目され始めて文化のテーマも<自立した女性>でいっぱい!
各方面でそういう話題がもてはやされている現実の裏ではまだまだ一般の人達は、若い人でさえ一人の女がただ <一人の人間>で在りたいと考える事に戸惑ってしまう時代だったのです。
 私はずっとそれまで一握りの、私を信じて応援してくれる家族や友達に囲まれては居ましたが、何処か常に理解されない苦痛を感じ続けて居たと思います。もちろん理解されない苦悩を抱えて生きて居るのは世界中で私だけではありません。それだけで何をしても仕方が無いと云う理由にはなりません。
随分自分の事ばかりで前起きが長くなっしまいましたが 今回のコネチカット州での事件の後で犯人の少年の家庭的な事情を知るにつけて、此の事件が起きた土台には此の若者のお母さんが教師であった事―すなわち<働く女性>が母親で在る時に必然的に起きる子供自身の疎外観や、本人が精神障害を抱えて居る事から来る社会からの無理解が、直接では無くともかなりの理由を占めているのではないかと私は考えて居ます。もちろん手に届く場所に銃が無ければこんな事件は起こらなかったかもしれないし、それ以前に母親が女性でありながら銃をコレクトして居るなどと云う実態が無ければ、多分此の若い悩める男もこんな立場にはならなかったと思う。きっと凝縮した其れまでの周りの無理解への、本人に考えられるただ一つの反抗の手段だったのでは無いかと、私の様な変わり者として生きて来た人間が想像するのは極端過ぎるでしょうか。此の若者は自分を否定して拒絶した母親―教師、そして学校の子供達を自分の敵と考える様になってしまったのでは無いでしょうか。
それにしても今回の事件で私が最も驚いた事は、此の事件で犠牲に成った20人の子供達の親族の事件後の反応でした。事件の起きた数日後に被害者の遺体が遺族に渡されて順番に、此の小さな町で毎日の様に葬儀が行われ始めた時、CNNなどの大きなニュースネットワークで葬儀を前にした遺族達や関係者のスピーチをライブで放映して居ました。その放送の中で、小さな我子を奪われた失意の最中に居る両親達にもインタビューして居るのを見ましたが、其の方達の何人かのお話を聞いて、私は改めて本当の信仰を持っている人々の強さと健気さに感動する事になりました。
在る6歳の少女の父親は報道陣の数々の質問に動揺も見せず淡々と答えていましたが、ある記者からの 「こんな事があった後で貴方は此れからどうするつもりですか?」と云う様な質問に取りつくろう事も無くはっきりと「「解りません。こんな事には誰にも準備なんて在りませんから。しかし私には信仰が在ります。 多分沢山の祈りとカウンセリングが必要でしょう。沢山の助けを私達は得るでしょう 。私達には教会の人達がいますから。」と締めくくり、そして殆ど壇上から降りようとして居る時に、又違う質問がその若い父親に投げかけられました。「無垢な命を奪ってしまった神に対してどう思いますか? 」という質問に彼は凛然と「神は私達にすべての選択を与えてくれて居ます。しかし在る人達は何故かこんな選択をするけれど、神はその選択さえ私達から奪ってしまう事は無いのです。今は失われたすべての命が、犯人の若者自身も含めて安らかで在れる事を祈ってます。私は今、前より更に誰かを助けたいと思う様になりました。その方がずっと気持が良いからです。」と云いました。彼は自分の子供を無残に殺されてもそれを神の仕打ちだとは考えず、あらゆるトラブルは我々自身が選択した結果であると述べて居るのです。しかもその言葉は誰かに教えられたシナリオでは無く、本当に絶望的な体験をしている一人の生身の父親の言葉なのです。私は其のまだ青年の様に若い父親の聡明さと強い信仰に思いがけず感動して、しばらく私の頭の中で彼の最後の言葉が何度も横切っていました。 アメリカに長く住んで居ると 時々こんな風に本当の信仰のある人達を垣間見る事があります。
無名のそんな人達が何処かの政治家の様に人前で綺麗事を言うだけの演説の練習もして無いのに、見知らぬ誰かを感動させるが事が出来るのです。
こうして居る間にも、アルジェリアでのテロ事件が発生、中国でも人質事件が起きて居ますが、人々が問題解決を暴力や闘争にスイッチしてしまう傾向がさらに高まる事を心から悲しく思っています。
世界はまだ当分一つには成れ無いのでしょうか
私は今の時代だからこそ、せめて私達女性だけは本当に何時までも優しさを忘れず、暴力に加担する風潮を警戒してかかるべきだと思っています。何処までが強さで、何処からが暴力なのか。考えると果てし無く難しい問題で本当の回答はなかなか見つからないでしょうが、不必要に過激で暴力的な表現を私達の周りから減らし始める事を私は訴えたいと思います。   

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コメント(10件)

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momoさんの記事を読んでいて、まるで論文を読んでいるような気持ちになりました。
銃の乱射事件が、貴女が心の中に長年潜めてきた感情に火をつけた、と言う感じでしょうか。素晴らしい文章でした。
それと、子供さんを殺された若いお父さんのコメントも凄いですね。
あのようなコメントが、自然に出てくると言うことは日本人では考えられません。論理的で、哲学的で凄いですね。
私は思うのですが、あれは欧米人のDNAですよ。
欧米人はみなさんあのようなコメントが出来るのです。
私はBS番組でイタリア各地の小さな村を訪ねるシリーズを見続けています。
お年寄りが主人公です。戦前のイタリアは貧しくて、学校にもまともにいけなかったと言う人が殆どです。
ところがそのおじいさんやおばあさん達の話が、実に理路整然としていて、哲学的でさえあるのです。
いったいどこで教育を受けたのだろうかと思うほどです。小さい頃の話し相手は羊や牛や馬だったと言う人々の何気ない話が理路整然としていて驚きます。
つまりそういうことではないでしょうか。
間違っていたらごめんなさいね。
あきさん
2013/01/23 20:33
あきさん、コメント有難うございます。
論文見たいと云うのはちょっと誉めすぎですが、自分の書いた文章を褒めて頂けると嬉しいです。
確かに西洋の人達は自分の感情なり、論理をうまく説明する事が出来ますね。
おそらく彼等の子供の育て方にも理由があると思います。
何処の世界にもルールや制限があるのですが、ヨーロッパの人達は感情を言葉に出せる自我を持たせる様に意識的にして居る見たいです。
小さな子供だからと甘くしないで、厳しい現実もうまく理解出来る様に説明したり、それに対しての質問などもめんどうがらずに聞いたりしています。
とかくクリスチャンの人達は世界観がしっかりして居ますから、日本人の様にいざという時に感情に飲み込まれ無いしっかりした論理的な考えを持っていますね。
イタリアのお年寄りのお話も興味がありますが、私はアメリカ人の年寄りと話すのも好きなんです。
彼等はどんな辛い体験でもユーモアセンスで面白く話してくれます。
何より年齢の差とか社会的な立場を意識しないでオープンになってくれるので、すぐに友達の様に打ち解ける事が出来るのです。
どうやら知恵は一晩では身に付か無くても長く生きると付いて来るのかもしれませんね。
懸命に生きている人達からははっとさせられる事が往々に在りますが、今回は特に自分の心にずっと此の若い父親の言葉をとどめて生きようと思いました。
あきさんのブログにも色々と勉強させて頂いて居ます。
これからも期待して居ますからね!
  
momo
2013/01/24 09:35
こんばんは。
ご無沙汰しています。
このたびはたくさんの励ましのコメント・気持ち玉をありがとうございました。

被害者の方の言葉。日本人の感覚では出ない言葉ですね。
日本は無宗教が多いせいでしょうか?
良いことがあったら神様のおかげ。悪いことがあったら神様のせいと、神様の地位が上がったり下がったりしますもんね。考えさせられます。
momoさんの結婚観、すごく分かる気がしました。
私も個性的過ぎて、昔は自分をそのまま受け入れてくれる人じゃないと結婚しない!と言っていました。
その相手に出会ったと最初は思っていましたが、やっぱり段々そうではなくなるもので、髪は長い方がいいとか、たまにはスカート履いてほしいとか、出てくるものです。
一人になった今はいかに縛られていたかがよく分かります。自分のタイミングで坊主にできる自由。「結婚」というものが一番のしがらみだった思いました。
どうも私には向かない世の仕組みの一つだったようです。
でもmomoさんはとっても良い方と出会えたようですね!^^
TAMO
2013/01/29 19:35
 TAMOさんコメント有難うございます!
確かに結婚とは考えさせられる事が多いし、なかなか難しいシステムですね。
私達も問題も無くただ順調にやってきた訳ではありません。喧嘩ばかりしていた時もあるのですよ。
うちは二人とも変人なので普通のカップルの様な事でもめないだけなのですが、最終的にお互いにどうしても人間とは変える事はできないのだと理解してようやく何とかなって来ました。
しかし髪の形とか服の好みなどの様に小さなレベルでコントロールをされるのは結構やりきれないですよね。
その点でも私はポロボロよれよれが好きとか、流行を追いかけずに自分のスタイルのある人が好きです。
そう思ってそんな男性を自分で選びましたが、そう云う人には又其れなりのトラブルがあるものです。
私は一応T.P.Oにはこだわるのですが旦那はそれさえ構わない人でした。
これには今でもちょくちょく困って居ますよ。
変な所があるのも知っていたけど自分よりひどい人だったのです。
私の方がまだまともでは無いかとか、以前自分が人に言われると反感を感じていた事を彼に言わなくてはならない状態なのです。
もし元の時点にもどれたらお互いに同じ人を選ぶかどうかは疑問ですね!   
momo
2013/01/31 07:59
ガォ〜豆まきmomoサン お豆は幾つ食べましたかぁ〜
なぜかなぜか優しいは、ノンビリ屋サンだからか、強い冬将軍のパワー絶大だからなのか、なかなか なかなか花咲く頃はノンビリ先です。
。。。いろーんな出来事が日々、世界で起こり。。。
この地球のイキモノすべてがを見せられる。。。そんななニュースを見たいなぁ。。。すばる
じゅん
2013/02/05 16:16
じゅんさん、すばる君こんばんわ!
私は節分に豆を自分の年の数程は食べませんでした。数が多過ぎてお腹がいっぱいになってしまうからなのですけどね。
でもお家で持ち帰りの御寿司を食べましたからとてもハッピーでしたよ。
食べて居る時だけは嫌な事は忘れられますが、ちょっとニュースを見ると暗い話題ばかり。  
世界中に平和な日が早く来てほしいですね。
こんな時すばる 君の様に明るく可愛いお友達が居てくれて私ははとても嬉しいです!
 
momo
2013/02/08 15:05
ずい分前ですが、物事が多様化する時代が来ると書かれていましたが、その頃には、このような世界が繰り広げられるとは、思えなかったように思います。
私は、パートで販売の仕事をしています。高年齢なので、私の上司は、私よりもずっと若い人です。
考え方が、少し違うなと思っています。
一言で書きますと、思考の奥行きがありません。
自分の周囲の事以外に、興味を持つ事が面倒のようです。
原発の事も、近隣諸国の事も、分からない〜と言います。
短いスカートをはく意味は?については、カッコいいからだそうです。階段を上がる時、下から上がってくる男性が、屈みこんで覗こうとしているのも知らないようです。
この場面は、何度も目撃しています。横にお母様らしき人が一緒にいてもです。
女性がどのような状態でいることが、一番女性らしいのか、女性自身が知らないのだと思います。
外見ばかり見て判断するのは、ただの欲望です。
短いスカートは、心の中の欲求かもしれません。
多様化された、めまぐるしい世界だから人の考え方も、色々なのかもしれません。
先日、久しぶりにファミレスに行き、何カ月ぶりのステーキを食べました。
良く焼いて下さい とお願いしたのに、血が浮き出ているステーキでした。一緒の子供の分は、しっかりと焼かれていました。多分、間違えたのだと思います。
私の分も、もう一度しっかり焼いて頂きました。
血が浮き出ているステーキをどうしても食べる事が出来ません。お肉も、数か月に一回ですが、菜食主義でもありません。私のように昔のままで止まっている人はいないかもしれません。
地球規模で、変化があり、その変化に同調するように人間も変化していくのでしょうか。
心の中まで、誰にも盗られたくないなと思います。

2013/02/13 13:16
母さんコメント有難うございます。
日本だけに限らず世界的に若い世代が、過保護と過剰な物質的情報に踊らされて、内面の成長を重視しない傾向にありますね。私は其れが彼等自身に責任がある訳では無くて、子供達にそういう影響を与えている私達大人の責任でもあると思うのです。
自由、自由と云うけれど自分の力で得て居ない権利には特に感動も無いし、どうして活用して良いのかさえ解らないのかもしれません。
私はずっと古臭い女の生き方に反発して来たのですが、少しずつ世の中がモダンになるにつけて、私達女性の在り方自体がかなり周りの人々に良きにつけ、悪しきにつけて影響を持っている事に気が付きました。
子供達に周りを気遣う繊細さや、誰かに優しく出来る余裕を与えられるのは、彼等の周りの大人達の役目です。
年上の女の人達が良いモデルのならなくてはいけないなと思っています。
母さんの周りの若い人達に、母さんなりの影響を与えられると思います。人は一人ひとりのこだわりや考えや生き方がありますから私達は自分達の生き方で、誰かに何かを伝える事も出来ると思います。
特に私は優しさを若い女の人達に見せたいものだと思います。
ちょっと私としては今更女らしさなんて照れくさいのですけどね。
母さんの様なちょっと古さのある女も素敵だと思いますよ。私は32年もアメカに住んで居ますが、自分はずっと日本の女だと思っています。どんなに時間が田ってもそれだけは変わらないと思っています。 
momo
2013/02/16 15:52
momoさん、何度も書こうかなと思い、ちょっと偏りすぎだから止めようと、考えて。。
子供達の、今の状態は 今まで、家庭で受けていた事が影響していると思います。
男と、女の結婚への意識が根本的に違っている事が長い年月の間に確実に、何かを壊してしまう状態になっていると思います。結婚への意識の違いは、男にとって結婚とは、何かを所有する部類に入るのだと思います。女は、家庭に入るというように、所有される状態と思うのですが。。
好きな自動車を所有するが、その時は好きでも、違う種類の車をみると乗ってみたくなる、どのような機械なのかエンジンはどうだろうと、考えて乗ってみたくなる。
車を女と変えてみると、日常的に色々な家庭で繰り返されている、男の浮気とか、不誠実な部分が当てはまると思います。男は、わざと妻を苦しみに落としているのではなく、自然な事として行動していると思います。
家庭での不協和音は、子供がいれば子供を巻き込み、居心地の良い家庭ではなくなります。母親が、苦しむ姿や、嘆いている姿をみていて、結婚はしない方が良いと思うのです。自分は、抑圧された生活はしないと思うのです。その結果が、我良しの自分勝手の精神となり、それが自由だと思うのかなと思います。根本は、家庭にあり、男と女の結婚への思いの差だと思います。
すべての男女がそうだとは、思いません。
人間らしく、相手を慈しみ、ともに老いていく事を喜び暮らしている人達もいると思います。それは、人間としてとても幸せな事だと思います。
私は、それが叶わなかったので、自分自身の心を大切にしようと思い生活をしています。心は誰にも見えませんが、きれいにしておきたいなと思っています。

2013/02/27 00:37
母さん、非常に含蓄の深い個人的で体験的な視点からの御意見を有難うございます!
確かに沢山の人達が家庭内でのトラブルが原因となって心が深く傷ついている見たいですね。 
私の身の回りでも離婚の経験の無い人の方が少ない程なのです。 
男性の大半が女性の気持ちを理解出来ないと云うか、当然の様に私達に従う事を求める傾向を持っている事にはずっと気が付いて居ましたが、母さんの様に其れが男性側にとっては<自然な事>・・・・という認識が私には今まで在りませんでした。
でも全くその通りなので流石だと思います。
我家は人々から「かかあ天下」だと云われますから、その点でも一般とは違っているらしいのです。
我旦那は誰にでも優しいタイプでその点では問題無い男なのですが、往々に彼の周りの男性から私がまるで自分の嫁の様な扱いを受ける事が在ります。
そういう時、彼は私が一々反論する本当の理由が未だに理解出来ないらしいのです。
何時も私は「男性には選択指が在るが、私達女性には其の枠がせまいのだ」と話すのですが、そんなアンフェア―さに苦しんだ体験が無いのですから彼にもどうしても私の憤りの意味が理解出来無い見たいなのです。
私はずっと何も言わずに耐えたり、我慢し続けて来た女の人達の代わりに発言をしているつもりでした。でも此れからは母さんの様にもっと大きな心を持って、ゆったりと物事を見つめ直したいと思います。
私ももう若さと云う幸運からはかなり遠くなった年頃なですが、最近特に身の回りの事に関心が薄くなったり、おシャレが面倒臭いと思う様になり始めました。でもせめて心の中だけは何時までも<面白い事を考えている子供の様な純朴さ>のある人間で居たいと思っています。母さんのブログの<小さな事に喜びを見つけて生きて行きたい>と云うタイトルに私も同感です!
どうか此れからもよろしくね!
momo
2013/02/28 18:52

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